嫁の立場向上委員会


嫁たちの個室
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傑作!「ひとりごと」コレクション

■ちりめんさんの「ひとりごと」コレクション

母   84歳になる私の母は、3年前に脳梗塞で倒れた・・・言葉が出なくなり、歩行が困難になりかけていたが、この人はやはり父が言っていた通り「只者」ではなかった。 医者が驚くほど、回復が早かった。 リハビリの開始を許可されてからの母は、リハビリのやりすぎで倒れるのではないかというくらいに、顔を顰めながらも、絶えず体を動かし、足を動かし、指を動かし、今では自分の身の回りの事は勿論の事、家事を僅かではあるがこなしている。   だから反面、きつい人ではある  父は定年を迎えると割りと自由に暮らしていたが、母は、倒れるまで仕事をしていた。自分の仕事を芯から愛していたのだと思う。 その母が結婚前の私に「(若いときの)苦労は買ってでもしろ・・と言うけれど、あれは嘘。 しなくても良い苦労は、しなさんな。」と言った。  母にしてみれば、もっと楽な結婚をしてもらいたかったのだろう。   そうだね、お母さん  今なら解かる。    母は自分の母を10歳の時に亡くしている。 二人の兄がいたが、跡継ぎだった叔父は、財産を全て使い果たし母に借金を遺し、妻ではない人のところで倒れそのまま亡くなった。  父の母はお大尽の奥方だったが、これまたきつい人で( 孫の私には良い祖母だったが )仕事を持った母に悉く辛くあたったらしい。     連休に父の7回忌のために実家を訪れ、 二人で母のベッドに座り、色々と話をしたが、 「 おばあちゃんがきつかったから、お父さんは、家を出よう・・・と言ったことがあったんよ 」 『 でもお父さん一人息子やない 』  「 お父さんの方が我慢できんやったみたいやね。 私がかわいそうや・・・ゆうて、」  「 でも、私は母親無しで育ったみたいなもんやからね、 お父さんに、親を捨てるような真似させられへんでしょ 」 「 お前が出ないのなら、俺が出る・・・まで言い出して・・・」   祖母、父、母の葛藤は今まで聞かされたことは無かった。  が、母はなんとなく嬉しそうにその話を私にした。   そうだね、お母さん、その気持解かる。 息子は根底では、母親を裏切ったり、捨てたり出来ない。  でも女房に、お前が一番だよって 態度で示してくれたら、それでいいんだもんね。  お互いに良い連れ合いを持ったね・・・  親子でなんだか、気持が悪いねぇ   父が亡くなってから、母と父の話をする度に、母が年老いていくのを実感する。 もう少し、性のキツイお母さんで居てくれてもいいんよ。 ○子(孫)の結婚式まで、元気でね。 2005/09/20 23:16

父と子   8月にオーストラリアに行くと言って計画を立てていた息子が、7月の終わりに「 お金が足りない・・何とかして・・」とSOSを出してきた。  ところが、金額を聞くと足りないどころではない。 夫は、もう2〜3日待て、と言いながらも、出発の2日前に、ドタキャンをした。  二人の電話での会話・・・「申し訳ないけど、今回は諦めて欲しい。」 「そんなに大変とね?」  「お前が出発するのには間にあわない。」「いいよ」 横で聞いていた私は【・・へそくり・・・が・・】  とは思ったが、何を考えての夫の発言か定かでなかった為、口を噤んでしまった。  会社とはいっても、自営業の延長、使える現金は、たいしてない・・・それでも出せない金額ではないはず。   それから、しばらくの間親子で話していた。  8月に入って帰郷した息子から、「 お母さん、俺ね、やっとお父さんから一人前に見てもらったったいね。」  そんな言葉を聞いた。  夫と息子の間には、世間でよく言う【親子の断絶】というものが、まるきり無い。 どちらが、楽しんでいるのか解からないくらいに、コロコロと良く二人で遊んでいた(いる・・・かな?) 小学生の頃、台所にいる私に聞こえてきたのは、トランプをしている声や、ボール投げをしている奇声、すぐに二人で遊びを考え出してしまう。 虐めの話になると、「虐められたら、お父さんに言って来い、校門の前で、バットを持って待っていてやる。」    私立の中学で、寮に入ってしまったものだから、私としては、子供から少年へ変わっていく貴重で、微妙な時期をともに過ごせなかった事を後悔しているが、 「独り立ち」 が息子への命題である夫は、自分が一番寂しいだろうに、寮には面会に行くな・・・それを1年通した。   何を話して、どう感じたのか、それは二人の間の事だけれど、夫が経済状態や、考え方を、真剣に息子と話した事は想像できる。  中学1年で父を亡くした夫は、もしかしたら、普通の理想的な「父親像」 とはかけ離れているかもしれない。  笑われてしまうだろうけれど、 こんな夫や息子と一緒に生きる時間を持てて、私は、幸せ者だ。    けれど・・・ゴロゴロしている息子が大学に帰ってしまうと・・・・今も母屋から二人の話し声が聞こえてくる・・・・・うちの旦那・・・私が相手しなきゃならない?!  ぅうッ 幸せ、幸せ!!  2005/08/28 22:16

お盆  14日夜、お盆の最後のお客様である叔父と叔母と姑の会話。  「○(息子)ちゃんには、九州の人と結婚してもらわなければ」 と叔母。 「○には、4人の面倒を見てもらわないといけないのだから」 と姑。 叔父は 「親子の縁は何があっても切れないもの。 どこにいても親子」 三人の間で、着々とわが息子の将来像を決め込んだ会話がなされてゆく。 叔父は叔母の家に入った養子婿。  その場にいた私は、主人の顔を見ていたが、目と目で会話をするのみ。   勝手に言わせておけばよい・・・と。   それから、3人の間で延々と、自分の物ではない人の人生に対する、示唆? あるいは強要が続いた。  人と言うのは、自分の安心のために自分の周りを自分の都合の良いように仕向けたがる。 自分の気持の安定の為、生活の安定の為、さまざまな〜〜の為があるが、これまでの私の生き方は、その他人の安心のために翻弄され、流されて来たようなものだ。 自分の安心の為に子供を大きな会社に入れようとする。 公務員になれと言う。 息子の為とは言うが、要は自分の都合、精神の安定の為。人の夢や意思は、どうでも良い。   【仏様を守ってもらわなければ】 あなたには、○の他に3人の孫がいます。財産も義弟にはきちんと分けています。  自分の娘の行く末が不安なら、もっと早くその事に気付くべきでした、虎は崖から子供を落としてでも自立の道を学ばせているのです。 この処、図太くなった私は、姑の自分勝手な言い方にもキリキリしなくなっている。  でも、この家の祖先は、その時代その時代を切り開いてきた人が多くいる。  お盆に久しぶりに帰ってきて、こんな会話を聞きたくなかっただろうな・・・祖先を敬う、仏様を尊ぶ、その意味を履き違えるな・・・そんな叫びが聞こえてきそうで、仏壇を見て、苦笑いをしてしまった。 2005/08/15 12:38

友人    私には中学からの友人がいる。 親友と言うと、乙女チックでむず痒い心地がするが、【親友】だ。高校、大学はお互いに違ったけれど、いつも一番初めに位置するのは彼女だったように思う。  その彼女が夫の元から逃げ出して来て7年近くが経った。 資産家の娘で、大学の卒業を待ってお見合いで結婚をしている。 彼女は何の連絡もせず、忽然と家を出、姿を消した。ご主人から電話を受けた私は、「 ついに 」とは思ったけれど、関西と九州と言う距離が、彼女を理解する時間を充分に与えてくれなかったらしい。当時はそう思っていた。 2年が過ぎて、「ちりめん・・・」と突然電話が入った。 「離婚が成立した。」  『あなたらしい・・・』 「ちりめんなら、何も聞かず、そう言うと思った」  僅か5秒ほどの間にわだかまりは、消えてしまった。   ご主人の私立探偵を雇った追いかけや、執拗な痛がらせや、攻撃に対して、自分の事で、周りを巻き込みたくない、そう思った彼女は、一切の連絡を絶っていたと言う。 実家のご両親にも居所を教えていなかったのを知っていた私は、いずれ、とは思っていたが、2年もの長い間になるとは、思いもしていなかったのだ。  肋骨を折った時、『?!』 とは思ったが、その後度重なる、打ち身や、青あざに気付いた私は、彼女から無理やり聞き出した。 1年に2度ほどの実家への訪問のたびに見つけるのだから、日ごろの暴力の頻繁さが推し量れる。 『出なさい・・別れなさい・・・・・』 何度言ったか知れない。 それでも、耐えている彼女を見ると次第に腹が立ってきて、結局はあんな男でも魅力があるのだろうか・・なんて、とんでもない事を考えてみた事もあったが・・・・ 息子二人が高校を卒業するまでは、と思っていたらしい。  息子には会うな、再婚はするな、一切、金は出さない。 なんでも、どんな条件でも良い・・・と離婚を成立させた。  「ははは・・」最後には、笑いだしてしまった。  『あほやねぇ』 あんなに自分が賢いと思っている男が、再婚はするなってか?  彼女も【頑張りすぎた女】の一人。 それでも、今彼女は、実家の助けを借りず、細々とではあるが自立し、毅然と溌剌と、生きている。 息子が頻繁に彼女を訪ねているのは、当然の事。 彼女の事を誇りに思う。 2005/08/08 14:47

久しぶりに夫と夜中まで仕事をした。以前は2時3時まで、作業をしたり、現場に行ったりしていたが、ここ数年は、デスクワークのみだった。 11時に荷物が入り、翌日は出荷しなければならない。じゃ二人でやるしかない。 クーラーの中でも体を動かしていると汗が噴出してくる。   夕方、地域の花壇の草取りに行った私は、そこでも汗を充分に出している。 夕食後のウォーキングでも汗まみれになっている。 今日はよくよく汗を流す日らしい。 終わってみれば4時。 お風呂に入り、ベッドに入ったのは5時を過ぎていた。    が、眠れない。 仕方なく本を読み出したが、読めない。 そうこうしていると、チッチ、チッチ と鳥の鳴き声が聞こえてきて、もうだめ。起きることを考えれば、今横になってしまうと、起きる自信が無い。 起きているしかない。   横で高いびきの夫の足を、ポンと蹴っ飛ばしてやったが、びくともしない。  同級生とは言っても、この人も歳をとったな・・・夜の仕事が堪える年齢になったな・・・少し寝かせてあげよう。   いつもは私の体力のなさをからかい、自分だけは若いつもりでいる人だ・・・もう少しの間、若いつもりでいさせてあげよう。 2005/07/28 23:28

夜  夜中の3時に目が醒めてしまった。 この時間にいったん起きてしまうと始末が悪い。 豆球の灯りの中、ソファーに座ってボーとしていたら、自分の身体が宙に浮かんだような感覚に襲われた。 私はここで何をしているのだろう? 薄明かりの中の居間は到底自分の世界ではない。 一体何のために此処にいるのだろう。 こんな暮らしをする為に生きてきたのだろうか?   仕事は当然の事、夫に対する想いも、自分の命でさえも、何もかもがどうでもいいように思われて、不安や、後悔や、痛みが無ければ、このまま、闇の中に誰かが誘い込んでくれないだろうか・・・   息子が自立するまではなんとか生き抜かなければ、その思いだけで踏みとどまっているよう。   時計の針の進み方が昼間より随分遅い。 このまま生き続けてどこにたどり着こうとしているのだろうか? 何を得ようとしているのだろうか? 後、数時間もすれば、昨日と同じ、同じことの繰り返しの毎日の一齣が始まる。 早くベッドに戻ろう・・・・そうすれば、かりそめの闇の世界で少しの間は平穏に過ごせる。  2005/07/17 15:12

楽天家  先輩の女性と食事に行こうとしたが、ちょうど大雨の最中、前からの約束であったし、事業家でもある彼女との話は楽しいし、長らく外出していないし・・・と周りと自分を説得しながら出かけた。  こじんまりした母娘の割烹で、家庭料理ではあるが家庭の味ではない、おいしい食事を頂いた。 そこで2年ほど前にワインの会で出合った男性と同席する事になり、「かめしずく」と言うおいしい焼酎をいただきながら、楽しい時間を過ごさせていただいた。 雨は一向に降り止まない。では、ワインのお店に行きましょう・・・と言う事になって、外に出た時、「うっとうしいねぇ」 と彼が呟いた時に、「いえ、マイナスイオン一杯ですから・・」 と私が言ったものだから、ワインバーではもっぱら私の物事に対する受け止め方の話になってしまった。 その結果、【楽天家】 と言うありがたい名前を頂いてしまったのだ。 自分が楽天家であるならどんなに幸せか知れないと、幾度思ったことか。 でも、周りが私を見て【楽天家】と思うのなら、なんとなく嬉しい。 思えば、物事を悪い方から見ずに、良いほうから見ようとする姿勢は夫のもの。 その考え方が知らず知らずのうちに私の中に根を張っているとしたら、立派な【楽天家】かもしれない。   お財布の中に紙のお金が入っていなくても、自分の事を「貧乏」と思わないのは、【楽天家】なのだと、先輩である彼女は言う。  でもねぇ・・・○○子さん・・ご主人は遠くの地で別家庭を持ち、もう何年も会っていなくて、一切の援助を受けないで、「年金よ、あなた、年金!」 とぐいぐいお酒を飲んでいるあなたの方が、よっぽど、【楽天家】 なのだと思うのだけれど・・・あなたとの時間はとても楽しかったです。  2005/07/13 16:06

夢の時間。  中学時代は寮に入っていた息子が、高校に入ると自宅から通うと言い出した。 部活をしながら、片道2時間の通学、朝星夜星を見ながらボロ雑巾のようにヨレヨレの息子の為に、夫が電車の駅に近い公団の一室を借りた。 初めて経験する親子3人の空間、生活。 ベランダに花を置き、好きな骨董の器で食事をいただき、自分の色に生活を染めることが出来る。 その為ならどんな負担だって引き受けられる。 朝、職場である家に行き、夜、スイートホームに帰る。 我が家に帰る・・・のだ。 自分の家庭を持つ事なんて出来やしない・・・ ずーっと諦めていた。 幸か不幸か、息子が浪人をしてくれたおかげで、3年余りの間、味わえないと思っていた【家庭】を知る事が出来た。 僅か2LDKの広さが、私の夢の場所。その生活が終わり、引越しの掃除を終え、ベランダに出た時思わず涙が溢れてきた。 「お母さん、大丈夫ね?」 「頑張れって言うの、お母さん嫌いっちゃろう?・・でも、頑張りいよ」   あぁ、大人になったなぁ・・・ 息子には姑や小姑の陰口や嫌事は一切言わなかった。 彼には彼の人との繋がりがあるのだから・・・そう思って胸の中に収めてきたと思う。  母親の不甲斐なさにも、いらいらさせられる時も有っただろう。 何を言うでもなく、祖母や叔母の事を貶める事なく、ちゃんと気遣う事が出来る、そんな青年になってくれた。 うれし涙と、悲し涙でぐちゃぐちゃの私に、夫が、「いつかこんな暮らしが出来るようになるよ・・・」   出来ないかもしれない、出来るかもしれない。 けれど、しあわせの基本は夫婦なのだ、そう教えてくれた夢の時間・・神様がいるとしたら、私に下さった夢の期間。 今でもあのベランダからの夜空を思い出す。此処の方が綺麗なはずなのに・・・   2005/07/01 23:58

50の手習い   夫が持ち込んだ仕事を引き受けたはいいが、注文を頂いて、右往左往している。 イラストレータのソフトを求め、ああでもない、こうでもないと動かしてはいたが、ギブアップ・・・師匠である、若者にSOSを出した。  この青年がこれまた、すこぶるのんびり屋ではあるが、すこぶるいい青年。 今日、仕事が後であるにも関わらず、助けに来てくれた。ありがと!○●君! 無事に帰りついたかしら?と心配をしながらも、ご教授に預かった事を練習していたら・・・彼がいるところで出来た事が出来ない!? なんで? どうして? うちの極楽トンボは、ぺたっと私の横に張り付き、「ちゃんとメモしておかないからだ」「いろんなことが出来なくていいんだよ、一つのパターンさえ覚えればいいのだから・・・」 と好き勝手をのたまう。『解かってらい!』『じゃ、自分でやりゃいいじゃない』と心の中で罵りながらも、【お説ごもっとも】と思ってしまう私のいつものパターン。何せ50の手習いだもの・・・と自分を励ましながら、錆付いた頭に鞭打っている。トホホ 2005/06/26 23:15

皿事件   ちょうど、40歳前の事、不惑の歳のはずが、惑・惑・惑・惑の10倍くらいにぼろぼろだった私は、皿割り事件を起こした。  その頃、台所の食器棚の中には、ぎっしり古い食器が詰まっていた。それもどこか、欠けたり、不揃いであったり、中途半端に古かったり、景品で頂いたような、捨てるに捨てられない(義母にとっては)ものだったり、それを日常で使用していた。 それが嫌で仕方が無かった。納屋の2階には私の【嫁入り道具】の食器が手付かずである。  その中から、大皿を5枚だけ、欠けた食器と交換しようとした。 それが、姑の逆鱗に触れた。 「 そんなにうちにある食器が気に入らないなら、■(義弟)のところにみんなやってしまう」・・腹が立つと言うのではなく、悲しくて、情けなくて、目の前でその皿を持つ手を離した。 一緒に買い物に行った両親の顔が浮かんできて、泣きながら、粉々になった破片を拾い集め、それでも食事の用意をしかけた私を、夫が外に連れ出した。 初めて、泣いた。 初めて、気持を出した。 初めて、夫がどちらの味方でもないという態度を翻した。 義母は私の事を恐ろしいと思ったらしく、そそくさと部屋に逃げ込んだ。  それから少しずつ、関係が変わってきた。  「皿割り事件」と夫は今でも私をからかうが、今思えばあれ以来、随分図太くなったな・・と思う。 でも未だ、私の【嫁入り道具】は、納屋の2階で、日の目を見ないでうずくまっている。 2005/06/17 20:59

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