嫁の立場向上委員会


嫁たちの個室
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傑作!「ひとりごと」コレクション

■ちりめんさんの「ひとりごと」コレクション

拝啓、義妹様。。。。あなたはお気づきでしょうか? あなたが出かけた後にしか、私が部屋を出て行かないことに。夜は、あなたが一緒にいる義母の部屋に入らない限り、事務所から母屋へは戻らないことに。。。。。食事が出来ているのは当たり前と思っていらしたでしょう?  洗濯も掃除も、誰かがやるものと思っていらしたでしょう?  でも、このごろ、変わったと思いませんか?  茶の間は、あなたのもので溢れかえっているので、掃除は諦めました。 洗濯物も、あなたが洗濯の講義をなさってからは、恐れ多くて出来ません。ご自分で好きなようになさってください。残りは後でしますので、どうぞ、ご遠慮なく。 料理だけは、あなたにはお任せできません、家族の健康が懸かっています。スーパーのお惣菜では、年寄りばかり、いずれ誰かが倒れます。お気に召さなければ、ご自分の分はご自分でどうぞ、邪魔はしません。 私が地域の団体に入らないからと、心配なさらないで下さい。入らなくても、奉仕作業は必ず私が出ていますでしょう? なんならご自分がお入りになったら? ご近所の噂に今より詳しくなられることは、確かですよ。 息子にアドバイスをなさるなら、できれば叔母の立場でなさって下さい。 くれぐれも、墓穴は掘られませんように。彼は、にっこり笑って、反論はしませんが、しっかりあなたの振舞いを見ています。  今、あなたは、私が嫁いだ時のあなたの母の年。これから先、どう生きていこうとなさっているのか、存じませんが、死ぬまで一緒、というのは、、、夫婦じゃあるまいし、嫌ですよ。。。御免あそばせ。。。。 此処まで言えば、私は、嫌な女。言えれば、大した女?  溜飲を下げたとしても虚しいばかり。 2005/04/16 23:10

姑とは? 義母の事を考えてみた。悪い人ではない。祖母からは意地悪をされたことが無いとは言っているが、今から50数年前の話。今の私が感じるより、もっともっと不自由な想いをして来たに違いない。32歳で夫を亡くして本家の嫁として、厳格な祖父に仕え、朝から晩まで働いてきた人だ。これから決して不幸な想いをさせてはいけないと思う。其の想いが、義母と義妹との同居、という情況の私の中で渦を巻く。。。。 義母の性格は、単純である。言いたいことは何でも口にするが、後が無い(これが一番腹の立つ時もある)。(私のように)内に篭らない。涙もろい(情況判断のすばやい事と、思える時もあるのだけれど、、)畑まで車で送迎しなければならないけれど、元気で居てくれる。息子を恐れているが、大切にする。外で良い格好をして、其の愚痴を家で言う。昨日言ったことが、今日ではまるで違う。。。物忘れが激しくなってきた、言いつけた事はすぐにやらなければ機嫌が悪い、同じ事を何度も言う、それは私の母とて同じ、いずれ私もいく道、嗤えない。 姑は普通の年を取った「おばあさん」のだけ。 もし、自分の母が料理をし、台所の後片付けが充分でなかったとしたら、「やれやれ」とは思うが、「中途半端に使って欲しくない」「だらしの無い人だ」とは思わない。他人だからだ。他人と暮らして、自分を抑えなければならないから。自分の時間を四六時中、他人に拘束されていると思っているから。夫の母は選べない。たとえ選べたとしても、姑、という存在自体が嫁には疎ましい。 ふーっと、ため息一つ。 2005/04/15 14:58

私の父は82歳間近に癌で亡くなった。最後まで苦しみぬいたが、又、最後まで「父親」でいてくれたことに感謝している。 其の父が母と共に九州に来た時の事。 帰りに義母が畑で採れた大きなスイカを持たせた。夫は重いから反対したし、買えば3000円足らずで売っている。其の頃は70歳を過ぎていたから、大変であっただろうと思うが、その時の父の言葉が今でも耳に残る。 「いやね、これは気持ちを頂いて帰っているのだよ」  「気持ちを頂く」 この言葉は、父の遺言。  苦労した姑が居るといって最後まで反対した父だ。結婚式の前夜でさえもいい顔をしなかった。夫が職を辞して、実家に帰らなければないと報告をした夜、父とお酒を飲んだ。「お前の母親のような女はいないと思え」 親にのろけられては世話はない、とニタリとしたが、「あの人はその辺に居る女じゃない、全部自分の中に収めて仕事をしてきた人だ。照れくさいが、尊敬もしている。 お義母さんを同じと思ってはいかん。 いろんなことがあるかもしれないけれど、お義母さんを大切にしろ」  普段飲まない私が、学生時代に戻ったように飲んだ。これで、娘の時が終わったような気がしたのかもしれない。姉夫婦に両親を託していた。だから、自分の親を大切にしてもらおうと思ったら、夫の親も大切にしなければならない。 2005/04/14

思いっきり心の内を吐き出してしまいたい衝動に駆られる時。 【あんたなんか人間のくずだ。】【バカだ。】【この世に居なくなればいい。】 声も聞きたくない、顔も見たくない、同じ空気を吸っていると思うだけで 吐き気がしてくる。足音を聞いただけで、気持ちが泡立つ。やさしい言葉にさえも虫唾が走る。こんなにも人を憎めるものなのかと思うほど、憎んでしまう瞬間がある。一緒に暮らさなければ、こうまで、追い詰められなかっただろうし、一人の人として付き合えただろう。憎まれていい人なんて、其の存在を疎んじられていい人なんて、居なくなってしまえと思われていい人なんて、この世には居ないはず。誰だって愛されるために生まれてきたのだから。 自分の身勝手さに愕然とし、涙が溢れてくる。自分の中にこんなに醜い感情があったなんて、こんなに醜悪な自分を知ることになるなんて。苦しくて、苦しくて、叫びだしたくなる。。。毎日の暮らしの中で、うまく気持ちを閉じてしまえない時、 不意にやってくるジレンマと自己嫌悪。。。 自分を哀れんではいけない。決して自分を嫌いになんかならない。 2005/04/09 16:44

木曜日8時から10時までの英会話教室。  町の教育委員会が主催した其の講座に飛びついた。 わずかの知的満足、何よりも、何よりも、日常生活からの逃避。其の2時間を得るための努力は何でもした。。。息子を急かせ、夫に目配せし、嬉々として車に乗り、5分のドライブを楽しみ、会場に入る。最初から、現実と日常からの逃避と言い聞かせていた週一度の2時間。 講座は2年で終了したが、十年来の友人も出来た。 愚痴を言うための会話は真っ先に習得。普通の声で、明るく、楽しく罵詈雑言(やってみたい)相手は、何を言っているのか解からない。  私、ずいぶん屈折している。。。。 2005/04/06 23:20

「最低のパン一切れを掴んだら、後はもう、摂理に従って、わが意を貫いて生きていくだけ」。。。。。大好きだった森瑤子の言葉。この言葉の意味を長い間、自分に問いかけている。ノートの端に書いてみたり、机のマットの下に挟んでみたり、呪文のように私から離れない。摂理に従って、でいつも躓いてしまう。私にとっての摂理とは、何なのだろうと。其の時々で全く違う意味に解釈してしまうこの厄介な言葉のせいで、悶々とわが意に反して生きている。 2005/04/05 22:30

茶の間のテレビ。。。。 一日中テレビの消えることの無い茶の間、家族がそこにいなければ団欒が無いように感じさせられる其の空間。いつも決まった位置に座っている姑。 番組に一々薀蓄を傾けようとする小姑。隣の部屋で机に向かっている息子のためにスイッチを切ることも出来ないでいる私。。。だらだらと時間だけが、何の目標も持たないまま過ぎてゆく。ところが、そのテレビが煙とパチンと言う音と共にショートしてしまった。以来十数年、茶の間にはテレビがない。期せずして、一番見たくなかった光景が消えうせ、夫は息子とトランプをしたり、手テニス(二人が考えたスポーツだそうで、、、)をしたり、話をしたり。息子はテレビが見たくなったら「ばあちゃんの部屋」。。。。結局「茶の間」はタダの通り道になった。私のせいではないけれど、なんだかウシロメタイ。  昨年暮れ、14インチのテレビを頂いたが、幸い2つのチャンネルしか映らない。WBS と キラキラアフロ 夫婦の時間。  コタツに入って、お茶を飲んで、みんなでテレビ。。。。だいっきらいでした。   2005/03/30 23:04

お宝坊主。。。 生きていれば、私たち夫婦には合計4名の子供がいるはずなのです。 流産、生きたのがたった1日の娘、そして、我がアトム、流産。。。。。排卵誘発剤の投与、流産予防の入院、帝王切開、科学の力を借りてこの世に登場してきた息子は、まさしくアトムです。。。出産時の低酸素のおかげで、3ヶ月の首すわり、6ヶ月の投げ座り、ハイハイ、10ヶ月には開腹手術をするという「おまけ」まで付き、最初の一歩を歩き始めるまで、はらはらのし通しでした。そういう思いをしたからでしょうか、我々夫婦は子供に対して、『生きていてくれればいい。』それが基本です。子供は3歳までに親にその恩を返す。と言います。 本当に楽しい時間でした。 昨夜も、 息子=「秋刀魚を焼こうとしたのだけれど、煙ぼうぼう、目がチカチカするし、煙を出さない方法ってあると?」  夫=「○のところが火事らしい」 私=『ひぇ?!』受話器をひったくり、主人にパンチ、魚焼きの講義を一頻り。今でも充分楽しませてくれます。 ○、周りの身勝手な思惑に惑わされること無く、あなたには、あなただけの幸せを考えて欲しい。自分の人生を楽しんで欲しい。どこにいても、何をしていても、どんなであっても、あなたが大好きです。あなたが楽しく生きていてくれれば、父と母は幸せです。 2005/03/28 12:02

弱さゆえのやさしさ(易しさ?)強さに裏づけされた優しさ、幸せだから出来るやさしさ。 やさしさにはいろんな種類がある。 姑が「ちーさん(私の事)は優しいけん」と言うのを聞くと、単に争いごとが嫌いなだけで、自分の意見を押し通さない私の日常に対する感想だと思い、自分の弱さや、安易さを思い知らされるのです。彼女にとっての「優しい」は、単に御しやすい、と言うに他なりません。長年如何に自分が闘ってこなかったかを、思い知らされる時です。半ば耳に栓をし、心にシャッターをおろし、だらだらと年を重ねてきました。  ただ一度、猛烈に反発したことがあります。姑が小姑の事を孫に託そうとした時です。「 ○チャンにしっかり頼んでおかじゃ。」『何を、ですか?』「△子のことたい」『何を頼むのですか?』「年取ってからのことたい、一人じゃ生活できん」   何を言われてもなるようにしかならない、そんな風に生活してきた私が、言えたのです。『○に結婚するなって言われるのですか?』 「そんな事は言っとりゃせん。△子が一人じゃけん、後々世話にならにゃいけん」『私たちも世話になるつもりが無いのに、何故、○や○のお嫁さんに叔母さんの世話をさせなきゃならないのですか?』『身体が悪いわけでもない、自分の都合や我儘で結婚しなかったのでしょう』『親の面倒を見るのが嫌な今の親に育てられた女の子が、叔母さんの面倒を見ると思いますか?』『○のお嫁さんに叔母さんの面倒を見てくれなんて、私は言いませんよ。それどころか、長男の一人っ子、結婚相手が見つかるかどうか解かりませんよ』延々と言いました。 何時も、どこでも思っています。○の連れ合いになる人には、私のような思いは絶対にさせない。  『○! 九州へは帰ってくるな!』   思い返しても足が震えてきます。夫の母に言ったのではない、自分の敵に言ったのだ。今ではそう思うようにしています。 2005/03/26 22:25

阿修羅の顔。。。小学生だった息子を送り出して、洗濯物を干す時、朝一番に自分を嫌な女だ思うのが日課でした。義妹の下着を干しながら「あぁ、今私は阿修羅の顔をしている」と思うのです。敷地内に夫の事務所があるから、仕事と家事の境界線が無い。それぞれの都合で振り回されているというのがその頃の私の日常。。洗濯物を干すということ自体は誰のものを干しても、さして仕事が増える訳でも何でも無い事。掃除にしても、炊事にしても、やることは人数の増減があったとしても大して負担になることではない。ただ、嫁が当然やる事と決まってしまっているのが、なんとも遣りきれなかったのです。共同生活のはず。金銭的にでも解決してくれれば、まだ納得がいったかもしれない。生活費という形でお金を受け取ったことが無い。台所の引き出しに入った封筒の中のお金は、姑がたまに「買い物は済ませてあるから」というときの為のもの。それさえも、わずかなお金で魂を売り渡したような気になったものです。。。その頃は、夫が事業を始めたばかりで、経済的にも苦しい時期でした。だから余計に、お金の事は口に出すのも嫌だし、封筒の中のお金が使えたら、と考える自分が惨めでした。  仕事も家事もそう嫌いなほうじゃないけれど、人間って勝手なものです。同じ食材を買っても、姑や小姑が買ってきたものを料理するのは、お手伝いさんになったような気がするのです。 2005/03/23 16:58

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